自由の森に入ったのは 公開研に参加して

11月21日、22日の二日間、
飯能のビジネスホテルをインターネットで安く予約して夫婦そろって行ってきました。
当日になるまで、どんな授業があるのかわからなかったので、わくわく。
行ってみると、もうボランティアの保護者の方々がスタンバイ。
お世話になります、ありがとうございますとあいさつして受付へ。
いただいた資料と授業内容の案内とにらめっこ。
さっそく夫婦で、どれに行く?わたしこれ行きたいなあ、ぼくはこれにしようかな、あ、こっちも…なんて。
とにかく寒いから、展示室に行って時間まで自販機茶しよう、と行ってみると、
もうすでに先客があり、その方たちと合流してあれこれ話をはじめました。
これもまた、自由の森の楽しみ。
情報交換も、相談も、ここで会ったが百年目~みたいにどんどん始まります。
みんな忙しいなか森まで登ってきてるから、ここぞとばかりに捕まえて話して(笑)

こちらは二日目の受付を守ってくださっていた自由の森の教職員?のお二人。
ありがとうございますー。って言いながら、午後の分科会に行く前にぱしゃり。
一日目は、お手伝いすることありますかーって言えたけど、
二日目はもう、ごめんなさい!行ってきまーす、どーぞーとそんな感じ。
裏方のみなさま、ありがとうございました。
一日目は、高校の日本語の授業にお邪魔しました。
テーマは徒然草を読む、ということで、だいじょうぶかな、私寝ないかなあ。
古典なんて、高校のとき楽しんだ覚えなかったよなあ。
なんていう不安にかられながらも教室に入っていきました。
授業の内容は、私の記憶のかなたにある「古典」の授業とは程遠く、
日本語というジャンルでは分けきれない深い内容のものでした。
こころの勉強であり、発言の勉強であり、想像力の勉強であり、
作品を読むという体験であり、ひとの意見を知るという体験でもあり、
その根拠を探る作業であり、すべてをまとめて、生きるということについて、
授業に参加して作品を読んでいる個人個人が自分を知るという授業になっていました。
終わったとき、疲れたなあ、と思ったものの、こんなに古典というものを忘れた古典の授業って
やったことなかったなあって、しばらくその余韻から抜け出せないほどのものでした。
古典と言えば、「あり・をり・はべり・いまそかり」とか、とにかく古語辞典と文法!みたいな
そんな印象しか残っていない私にとっては、大きな体験をした二時間でした。
その後、昼食をはさんで日本語の分科会に出席しました。
授業は高校2年生のものだったので、ここまでの授業をするには、
たぶん色々御苦労があるだろうなと思い、発言しました。
今の子どもたちは、自分が小学校に勤めた経験からすると、
自分のことばをつぶやいたり、吐き出したりすることさえも出来ずにいるように思います。
受け皿、それは保護者だったり、親だったり、教員だったり、社会の大人だったりするけど
その受け皿がないからではないかと思うのです。
そんな幼児期、学童期を過ごした子どもたちが自由の森にやってきて
あそこまで自分の考えや感じ方を表出させ、表現にまで高めていく作業を支えるのは
どれだけ大変だろうか、子どもたちの言葉が奪われていた時間やその傷を埋めながら、
授業を作る方法やそのときの苦労などについて、教員の皆さんにお聴きしたいです。
そんな感じだったかと思います。
他にも日本語の分科会では、助言者の方のご意見をお聞きしたいという発言や、
現在の小学校での状況を報告する方もいて、日本語の授業をきっかけにして、
思ったよりもたくさんの方々が、日本語やことばの危機について考えておられることを知ることができ、
教員のみなさんや助言者の方とのディスカッションまで入る時間が無いほどでした。
やっぱり、ことばって大事なものなんだ、ということを改めて感じて、
うう、もっと時間がほしいなあと思ったのでした。
でも日本語の授業と分科会がなければ、こんなテーマで話す機会は無かったわけで、
やっぱりみんなで話すっていう機会は大事に生かしていきたいなあと思いました。
日本語科の教員のみなさま、ありがとうございました。
また自分なりに考えて、これからも考え続けていきたいと思っています。
夕方からはじまった哲学者・内山節さんの講演は、とても楽しいものでした。
多目的室はもうひとでいっぱいでした。
淡々とお話される内容は笑いとユーモアとペーソスと、そして何より内山さんご自身の、
等身大の体験に基づく哲学の入り口としては魅力的すぎるくらいの講演でした。
ずっと立って話して下さっていたのが申し訳なくて、お疲れになっただろうなと
感謝の思いでいますが、内山さんの御本を読んでみたいとほかの保護者の方とも
あとでかなり盛り上がりました。
そしてその一時間の講演に続いて、内山さんに聞きたいことあるひと、どうぞー、と
フリートークの時間が始まりました。高校生、中学生?、教員の方、保護者、とにかく次々。
こんなに手が挙がる講演会って、やっぱり自由の森ってたのしい。
自分の地域でPTAとか、そのほかでも講演会で質問や感想を言うひとは少なくて、
盛り上げるために、サクラを仕込んで置く、なんて話もあるのに、
もう質問をあきらめたひともいた位の盛り上がり方でした。
みんな、知りたいという好奇心、どうしたらいいんだろうという葛藤をそのままにせず
自由の森で、何かをつかみたい、という気持ちなのかなあとびっくり。
そのなかでも、ある生徒さんが、内山さんの、
「三日以上先のことは考えないでその瞬間瞬間これが自分の役割だと思ったことをして生きています」
というお話について質問をしていたのが、印象的でした。
生徒さんは高校三年生。
受験のことを考えると、今を犠牲(内山さんは消費ということばでお話されました)にしていかなければ
行きたい大学には行けないし、その一方で今やりたいことはたくさんあるし、という悩み。
内山さんは、大学に行きたいというのが今の気持ちであれば、受験を手続きのひとつとしてとらえて
そのために今自分の役割はその手続きのための準備をすることだということでいいと思うと
ていねいに答えてくださっていました。
ほかにもたくさんの質問やら、意見が出ましたが、内山さんは始終淡々と話してくださり、
内山さんの世界に触れることができたことに心底喜びを感じました。
それは、内山さんが、これはあくまで僕の考え方で、とか、やり方でとか、そう言って、
みなさんはみなさんのやり方を探すときに、僕の話が何かの参考になれば、と
やわらかに対応してくださったことに尽きる気がしました。
答えは自分で出す、自分の哲学を持つ、考えることは楽しい!
これが内山さんのお話を聴くことができたわたしの実感でした。

さて、二日目は英語の授業を選んで、高校1年生の教室におじゃまむし。
担当の教員の方の指導案や、テキストのプリントをいただき、
受付でもらった分厚い公開研の授業の資料と合わせてにらめっこ。
そんな私など生徒さんたちも教員の方もまったく気にせずに、
いつも通りの空気なんだろうなあ、とわかるナチュラルさで授業が始まりました。
おしゃべりしている子がいたりしても、授業は聴いていて、
どう?と教員の方にふられると、俺は…と話し始める。
途中抜け出したかと思うと、飲み物を買ってきてまた授業に参加する。
発言をしないけれども、真剣に聴いている。
一心不乱にノートを取っている。
みんな自分のやり方で授業に参加する形を決めているような気がしました。
英語の授業としてびっくりしたのは、リズム読みというもの。
この日のこの授業は、前置詞の8時間目ということで、前置詞と名詞の組み合わせを
まるでラップ(クレラップじゃないですよ)を刻むように声に出している生徒さんたち。
英語というと書くもの、読むもの、だと思っていた学生時代を思い出し、
今痛烈に、英語でしゃべりたいと思っている私は、ぴょんぴょん飛び跳ねたくなりました。
たのしいたのしい。聴きとれなくてもだいじょうぶ。書けなくてもだいじょうぶ。
失敗は財産だからね、ぜったいに消さないで残しておいてね。
プリントに前置詞や名詞を書き込んでいる生徒の間で教員の方の声が響きます。
いいなあ。失敗が財産、って言われたかったなあと思いました。
だって失敗が怖くて質問できなかったんだもの。
失敗が怖くて手を引っ込めてたんだもの。
失敗は財産、今のわたしにも言えるなあ。
大人だから限度はあるけど(笑)

二日目の分科会は、授業を少しだけ離れて、生徒さんの企画あり、
選択授業の企画あり、打ち解けた感じで選ぶことができました。
私の選んだ分科会は、わたしがひそかに憧れている(ってここに書いたらひそかじゃないけど)鬼さん。
テーマは環境。
環境に関係する授業や活動をしているひとたちが集まって、活動や実践や思いを語りました。
そこに参加している生徒さんたちは、まだ正直上手に環境を語るという感じではなかったけれど
それでいいのだと思います。というか、それがいいのだと思います。
だって、高校生のうちから、というより、若いうちから、結論が出てしまうなんてウソ臭い。
入り口に立って、一歩踏み出して、今いろんなものを見はじめている彼らが、
これから長い人生のなかで、そのことをどうつなげていくのか。
教育っていうのは、急いで結果や作品を求めようとするとロクなことにならないから、
自由の森の生徒さんたちは、いつもその未完成さでキラキラしているなあと感じます。

長くて短かった公開研を終えて家に帰って。
ブログに何をどう書こうかな、ゆっくり書かないともったいないなあと思いつつ、
ふとソファに目をやると、読んでない新聞の上に夫所有のファイル。
なにが入っているかって?
それがこの↑月謝袋です。
これは夫がこの春から習い始めたピアノ教室の月謝袋で、
ちゃあんと先生はかわいいシールを貼って返してくれてるんですよ。
レッスンの日である火曜日は、出勤前に電子ピアノの前に座り、
何度も何度もおさらいをしている夫が、妙にほほえましくもあります。
そこで気付いたんです、わたし。
娘が自由の森に入学して、息子が高校に編入して、良かったなあと思っていたけど
自由の森に入学したのは、実は私たち親だったのかもしれないなあって。
だって、今まで持ち続けていた価値観や、常識だと思っていたことやあきらめていたことが
自由の森に関わったことで、形を変え始めてるんです。
自由の森は天国じゃないから、そりゃあいろいろあります。
まず子どもたちとのぶつかり合い。
もう、今回だって、楽しみにしていた最後の全体合唱を、
我が子たちは別々にふたりとも脱走していたのです!
もう、舞台に子どもの姿が無いと確信したときの気持ちは言い表せません!
待ってろよ!と怒り爆発で車に乗り込み、夫と二人家路を急ぎ、
そのあとの修羅場はもうここには書けませ~ん(涙)
でもまあそれも親子のコミュニケーション的事件。
今日はもうすでにおさまっておりますのでご安心くださいませ。
振り替え休日が終わって、また明日から学校。
次は音楽祭ですね。
今回もたくさんの方に声をかけていただけてうれしかったです。
ありがとうございました。
風邪など召しませぬよう、お召しになっても軽く済みますように。
なんて、最後は手紙みたいになりました。
2009-11-25 18:25
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